こちらがそのまとめページです。
情報はまだ少ないです。随時更新していきます。
2016年12月31日土曜日
2016年12月30日金曜日
アメとヨミと「分断」の神話
最近けっこう忙しくて、先日曜にようやくAct2をプレイできました。
アメとヨミについては予想通り、前回した予想の上をいかれましたね。
ただ、「あいの影」がユングの精神分析における「影」であるという予想は当たった気がします。
アメはホンキのときに「古い服と同じさ。体が大きくなれば窮屈になっちまうだろ? それだけのことさ。」と言ったり、「大人になりな。大人になって強くなって、それから考えな」(こっちは録画してなかったのであいまい)と言ってくるので、やっぱり「大人になる」「自己を確立する」ことがAct編のテーマなんだなって思う。
ミカ子が“母”で、母を嫌うルシ子が「エディプスコンプレックス」だったのかな? そして今回は影との対決と和解(ツーショット撮れる)、順調に思春期をステップアップしてますね?
さて、今回はアメとヨミが日本神話モチーフだったので、古事記好きなわたしとしては楽しいです。ただ、オトカの方はどっちかというと日本書紀っぽいんですけど。
これから先の記事は長くて読みにくいので、要点を箇条書きにした目次っぽいのを置いときます。
ヒメモードが「叢雲の太刀(ムラクモノタチ)」だが、これは叢雲の剣、スサノオがヤマタノオロチの尾から見つけた剣であり、後にヤマトタケルに渡るクサナギノツルギである。御存知の通り「三種の神器」の一つだ。また、クサナギノツルギを手に入れる前の話だが、ヤマトタケルは女装して宴に侵入し、クマソタケルを殺したことがあるので、ヨミの男の娘っぽさの元ネタの一つかもしれない。
ヨミのもう一つの元ネタと思われるスサノオの方は、もともと海を治めるようお父さん(イザナギ)に言われたのだけど、なんやかんやあってお母さん(イザナミ)のいる黄泉の国と少なくとも出入り口が共通している「根の国」を治めるようになります。なので、「ヨミ」の名は「月読」と「黄泉」のダブルミーニングなんじゃないかと思う。
あいに協力しようとするのはスサノオの父に反抗して母のもとに行こうとするエピソードがエディプスコンプレックスっぽいからですかね? 自己確立に悩んできたもの同士として?
ウケモチはツクヨミとのエピソードがある。以下、角川選書『世界神話辞典』の151ページから引用する。
また、この事件の後からアマテラスが稲を育て始めるので、「稲妻」を使うアメのイメージ元ととしても関連付けられそう。
一方、ツクヨミとウケモチのエピソードと似た話を、スサノオとオオゲツヒメも持っている(これはわたしがヨミの元ネタにスサノオも入ってるんじゃないかと思う理由の一つでもある)。
オオゲツヒメという女神は体の中に様々な食物を持っているのはウケモチと同様だが、それを口からだけでなく鼻と尻からも出せるという点でウケモチと違う(これが語られるのは過激さに定評のある古事記だしね)。
そして「ヒヨクノミミカザリ」のほうは、「比翼の鳥」は中国の伝説なのであまり和風ではないのだが(比翼の鳥と連理の枝が出て来る有名な白居易の『長恨歌』は『源氏物語』にも『枕草子』にも影響を与えているのでもはや和風っちゃあ和風なのかも)。「雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、2羽が常に一体となって飛ぶ(「大辞泉」)」という存在なので、「分かちがたい二者」の象徴としての登場か。
ヨミの話だけでだいぶ長くなってしまった。そろそろアメの話に移ろう。
セリフ回しとかが芝居がかってるのはアメノウズメが芸能の女神だからだろう。アメノウズメとアマテラスの接点は何度かあるが、ここで重要なのは当然、「岩戸開き」だ。有名すぎるので詳細を割愛するが、アマテラスがスサノオの横暴に耐えかねて岩戸にこもり、それを引っ張り出すのに活躍したのが「アメノウズメ」たちで、ここで登場する小道具が「ヤタノカガミ」、「ヤサカニノマガタマ」だ。
あとなんかハレとケの話もアメの歌に出てきたりしてますね。なんとなく民俗学的で嬉しい(大学で民俗学をちょっとやってたので)。
ハレつながりということなのか、商売繁盛の熊手モチーフの武器(熊手は実際に武器としても使われる)を持ってたり、「吉祥」の名の付く服を着ている。吉祥天……は関係ないか。元七福神らしいし無関係ではないかもしれないけど。
もう一つメテオストライクも使えるが、こちらは直接は関係なさそう。隕石関係の神としては紀に登場する「アマツミカボシ」が存在するが、これはアマテラスとは関係ない。メテオとは天からくだるもの、つまり天孫降臨を表しているんじゃないかという気がする。
サンダー使用時に「青天の霹靂」というが、青天は文字通り青空、霹靂は雷のことだという。まことにはれならずということぞなき。
アメとヨミについては予想通り、前回した予想の上をいかれましたね。
ただ、「あいの影」がユングの精神分析における「影」であるという予想は当たった気がします。
アメはホンキのときに「古い服と同じさ。体が大きくなれば窮屈になっちまうだろ? それだけのことさ。」と言ったり、「大人になりな。大人になって強くなって、それから考えな」(こっちは録画してなかったのであいまい)と言ってくるので、やっぱり「大人になる」「自己を確立する」ことがAct編のテーマなんだなって思う。
ミカ子が“母”で、母を嫌うルシ子が「エディプスコンプレックス」だったのかな? そして今回は影との対決と和解(ツーショット撮れる)、順調に思春期をステップアップしてますね?
さて、今回はアメとヨミが日本神話モチーフだったので、古事記好きなわたしとしては楽しいです。ただ、オトカの方はどっちかというと日本書紀っぽいんですけど。
これから先の記事は長くて読みにくいので、要点を箇条書きにした目次っぽいのを置いときます。
- ヨミはツクヨミとスサノオとヤマトタケルのミックス?
- 「ウケモチ」は別離の象徴
- スサノオとエディプスコンプレックスと黄泉の国
- 「ヨモツノツカイ」と「ヒヨクノミミカザリ」──別離と結合
- アメはアマテラスとアメノウズメのミックス
- アメの技──稲作と天孫降臨
「ヨミ」の元ネタ考
どうやらヨミはツクヨミをベースに、スサノオ、ヤマトタケルあたりも混ぜてるっぽい? 元ネタがツクヨミだけとすると説明がつかない持ち物なども多い。ヒメモードが「叢雲の太刀(ムラクモノタチ)」だが、これは叢雲の剣、スサノオがヤマタノオロチの尾から見つけた剣であり、後にヤマトタケルに渡るクサナギノツルギである。御存知の通り「三種の神器」の一つだ。また、クサナギノツルギを手に入れる前の話だが、ヤマトタケルは女装して宴に侵入し、クマソタケルを殺したことがあるので、ヨミの男の娘っぽさの元ネタの一つかもしれない。
ヨミのもう一つの元ネタと思われるスサノオの方は、もともと海を治めるようお父さん(イザナギ)に言われたのだけど、なんやかんやあってお母さん(イザナミ)のいる黄泉の国と少なくとも出入り口が共通している「根の国」を治めるようになります。なので、「ヨミ」の名は「月読」と「黄泉」のダブルミーニングなんじゃないかと思う。
あいに協力しようとするのはスサノオの父に反抗して母のもとに行こうとするエピソードがエディプスコンプレックスっぽいからですかね? 自己確立に悩んできたもの同士として?
別離の象徴「ウケモチ」
ヨミは狐の面を持っているが、狐関係のアイテムには「ウケモチ」の名が冠されている。ウケモチは「保食神(ウケモチノカミ)」という穀物神のことで、トヨウケビメやオオゲツヒメ、ウカノミタマなどと一緒に「稲荷神」に習合された神だ。ウケモチはツクヨミとのエピソードがある。以下、角川選書『世界神話辞典』の151ページから引用する。
『日本書紀』の神話の主人公のウケモチもやはり、体内にありとあらゆる種類の食物を持っていて、それらを口からいくらでも吐き出すことができた。あるときアマテラスが弟の月神ツクヨミを地上におろして、この神を訪問させた。ウケモチは口からご飯、魚、鳥や獣を吐き出してごちそうを作り、ツクヨミを歓待するが、
ツクヨミは顔を真っ赤にして怒って、「口から吐き出したものを食べさせるとは、なんという汚いことをするのか」と叫び、剣を抜いてウケモチを斬り殺した。そして天に帰ってそのことを、詳しくアマテラスに報告した。アマテラスは大変に立腹して、「あなたは悪い神なので、顔を合わせないことにする」と、言い渡した。それでこのときから、太陽のアマテラスと月のツクヨミとが、昼と夜の空に別れて出るようになった。このようにウケモチはツクヨミとアマテラスの分断のきっかけになった神でもある。どっちかというと稲荷モチーフだと「ウカノミタマ」のほうが一般的のような気がする(個人的に『いなり、こんこん、恋いろは』の印象が強いせいかもしれないけど)。しかし、光である「あい」と「あいの影」の分断のストーリーのために、狐の面は「ウケモチ」の名でなければならなかったのだろう。
また、この事件の後からアマテラスが稲を育て始めるので、「稲妻」を使うアメのイメージ元ととしても関連付けられそう。
一方、ツクヨミとウケモチのエピソードと似た話を、スサノオとオオゲツヒメも持っている(これはわたしがヨミの元ネタにスサノオも入ってるんじゃないかと思う理由の一つでもある)。
オオゲツヒメという女神は体の中に様々な食物を持っているのはウケモチと同様だが、それを口からだけでなく鼻と尻からも出せるという点でウケモチと違う(これが語られるのは過激さに定評のある古事記だしね)。
あるときスサノオがやってきて、食物を求めたので、このやり方で出したものを、いろいろな御馳走に作って食べさせようとした。ところがスサノオは、食物を出すところを覗き見していて、体から出した汚いものを食べさせようとしていると思い、怒って女神を殺してしまった。ちなみにウケモチやオオゲツヒメのその後だが、両者とも死体からは稲を始めとする穀物が発生する。この「体から食べ物を出せる女神が、汚いと思われて死に、その死体から主食になる作物が生まれる」という神話は広大な地域に存在し、「ハイヌヴェレ型」と呼ばれるが、それはオトカとはたぶん関係ないので割愛します。
別離と結合のアクセサリー
ドロップするアクセサリーの「ヨモツノツカイ」と「ヒヨクノミミカザリ」だが、「ヨモツノツカイ」は「黄泉遣」? ヨモツのツは連体修飾語を作る「つ」、つまり現代語の「の」と同じはずなので、「“黄泉の”の遣い」みたいに意味が重複してそうだけど、なにか意味があるのだろうか。「ヨモツシコメ」なんかを連想してほしかったのかもしれない。ヨモツシコメやヨモツヒラサカが出て来るエピソードは、イザナギとイザナミの別離の物語である。そして「ヒヨクノミミカザリ」のほうは、「比翼の鳥」は中国の伝説なのであまり和風ではないのだが(比翼の鳥と連理の枝が出て来る有名な白居易の『長恨歌』は『源氏物語』にも『枕草子』にも影響を与えているのでもはや和風っちゃあ和風なのかも)。「雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、2羽が常に一体となって飛ぶ(「大辞泉」)」という存在なので、「分かちがたい二者」の象徴としての登場か。
ヨミの話だけでだいぶ長くなってしまった。そろそろアメの話に移ろう。
「アメ」の元ネタ考
アメの方はアマテラスとアメノウズメを混ぜてるっぽい。というか、「岩戸開き」のキャラクターなんじゃないかって気がする。セリフ回しとかが芝居がかってるのはアメノウズメが芸能の女神だからだろう。アメノウズメとアマテラスの接点は何度かあるが、ここで重要なのは当然、「岩戸開き」だ。有名すぎるので詳細を割愛するが、アマテラスがスサノオの横暴に耐えかねて岩戸にこもり、それを引っ張り出すのに活躍したのが「アメノウズメ」たちで、ここで登場する小道具が「ヤタノカガミ」、「ヤサカニノマガタマ」だ。
あとなんかハレとケの話もアメの歌に出てきたりしてますね。なんとなく民俗学的で嬉しい(大学で民俗学をちょっとやってたので)。
ハレつながりということなのか、商売繁盛の熊手モチーフの武器(熊手は実際に武器としても使われる)を持ってたり、「吉祥」の名の付く服を着ている。吉祥天……は関係ないか。元七福神らしいし無関係ではないかもしれないけど。
アメは稲を育てる
サンダー、ウインド、アクア、グローリーネメシス(シャイン)は稲作のための技だろう。風、水、光で稲を育てる。サンダーは稲妻であり、その語源は「稲の夫(つま)」、雷が稲を実らせるという信仰があったためにつけられた名前だ。よってこれらの技はおそらく稲作に由来する。もう一つメテオストライクも使えるが、こちらは直接は関係なさそう。隕石関係の神としては紀に登場する「アマツミカボシ」が存在するが、これはアマテラスとは関係ない。メテオとは天からくだるもの、つまり天孫降臨を表しているんじゃないかという気がする。
サンダー使用時に「青天の霹靂」というが、青天は文字通り青空、霹靂は雷のことだという。まことにはれならずということぞなき。
2016年12月17日土曜日
あいの「影」──影と個性化(オトカドールAct2発表に寄せて)
※この記事は話半分に読んで下さい。わたしはユングの精神分析には詳しくないし、前回の記事のときもオトカはこっちの想像を超えてきたし……
人に情動をもたらす無意識は、ドイツ語でエス(es)またはラテン語でイド(id)と呼ばれる。
アイディが「空気を読みすぎて自分がない」のは、無意識は「自我」と「超自我」によって統制を受けていることが元ネタなのだろう。
ルシ子が「自我」、アイディが「無意識」を担当しており、この2人は2人で一人のような存在なのだろう。そしてルシ子とアイディはプレイヤードールとの交流で「超自我」を手に入れ、完全な存在になったのではなかろうか。それが親愛の魔王ルシ子。
ルシ子が超自我を手に入れ、意識が確立したので夢(ドリーム)から醒め、行動(アクト)が始まるのが7/28からのAct 1なのだろう。
と、「オトカドールのストーリーは“自己の確立”をなぞっているのではないか」というようなことを書いたのだけれど、Act 2のお知らせで「あいの影」というキャラクターが登場したことでこの説がさらに濃厚になった気がする。(とはいえ、es, idはフロイトの用語で影はユングの用語なのだが。まあ自己の心理に関わるという点では同じか。)
影
シャドウ(影)
シャドウ(影)とは、個人において生きてこなかったもうひとつの側面
であり、意識にとって許容できない自分の暗黒面のこと。ユング,
C.G.の提唱した元型のひとつ。意識において、ある自己イメージが
選択されると、それに対立するイメージは無意識に抑圧される。そして、
生理的に受け付けない人物という形で夢に登場したり、現実の人物
(同性である場合が多い)に投影されたりする。しかしシャドウを否定する
ことは自分自身を否定することであり、潜在的な可能性を捨て去ること
である。自分の中のシャドウと向き合い対決することが、個性化の
第一歩である。
──(シャドウ(影):心理学用語集より)
つまり、「影」とは、自分が自分の性格や生き方などを決めたときに、「選べなかった方」のことだ。
明るく生きると決めたなら、「暗い自分」は許容できない。その選ばなかった自分が「影」だ。
その影は"生理的に受け付けない人物という形で夢に登場したり"するという。
影をどうすればいいのか?
影は消せばいいか? というと、そうではないという。先の引用に"シャドウを否定することは自分自身を否定することであり、潜在的な可能性を捨て去ることである。自分の中のシャドウと向き合い対決することが、個性化の第一歩である"とある通り、影を否定することは自分自身の一部を否定してしまうことにつながる。影と向き合って、それも自分だと認めることで、「個性化」、つまり、自分らしさの確立につながるのだ、と。
影は消してはいけない、向き合って対決して、認めることで自分が確立される──
これを踏まえて動画を見返してみよう。
動画の内容と公式サイトのお知らせを混ぜて、文を整形すると以下のようになる(整形前はこの記事の末尾に置いておきます)。
あい「あなたが私? どうなっちゃってるの??」
あい「そうじゃない! ……と思う……」
あい「どうして? どういうこと?」
ヨミ「僕は君の力になる。そのためにここにきた」
あい「ありがとう! でも私、何がなんだかわからないよ~><」
あい「私、このままじゃ、イヤだ!」
あい「そうよね…。私もそう思う。そう感じる!」
アメ「あんたの影は影の世界に帰すよ。大丈夫、お互いそれがいいのさ」
あい「まって、私 ちゃんと会って話をする!」
あい「でも、私このままでいいのかな……」
あい「え? ちょ、ちょっとこんがらがってきた><」
どうだろう。影と対決し、個性化を進めようとしている流れに見えないだろうか。
影を認識したあいは戸惑い、混乱するが、向き合おうともする。「あいの影」はライバルドールとしての登場なので、当然ながら対決をすることになる。自らの影と対決し、勝利し、受け入れ、少女は大人になっていくのだ……。
おまけ:アメとヨミ
アメは「天<アメ>」で「天照大神<アマテラスオオミカミ>」、ヨミは「月読尊<ツクヨミノミコト>」であろう。もしかしたら黄泉とのダブルミーニングかもしれないけど。
スサノオがいないが、あいの影はアメによって追放されようとしているので、あいの影がスサノオ役なのかもしれない。
スサノオがいないが、あいの影はアメによって追放されようとしているので、あいの影がスサノオ役なのかもしれない。
属性はアメが光、ヨミが風or水、あいの影が闇ですかね。
ヨミの一人称が「僕」なので、アニムス(女性の中の男性的元型)だったりするのだろうか。アメとヨミでアニマ&アニムス?
ミカエルが日本の守護聖人(先代)で、天照大神は言うまでもなく日本神話の主神なので、ミカ子とアメのライバルカードを使えば夢のバトルができますね。ほんとに女児向けゲームなのかこれ?
ミステリアスキャン様もいるので仏教を除く世界三大宗教が既にいて、ここに神道が合わさり最強の女児向けアーケードゲームです。
(2016-12-30追記:アメとヨミについては詳しめに記事を書きました。こちら。)
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資料:動画の文字起こし
(2016-12-30追記:アメとヨミについては詳しめに記事を書きました。こちら。)
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資料:動画の文字起こし
「…………。」
あなたが私?
どうなっちゃってるの??
そうじゃない!
…と思う…。
どうして?
どういうこと?
「…………。」
ありがとう!
でも
私何がなんだか
わからないよ~><
私、
このままじゃ、
イヤだ!
そうよね…。
私もそう思う。
そう感じる!
「…………。」
まって、
私ちゃんと会って
話をする!
でも、
私このままで
いいのかな…。
え?
ちょ、ちょっと
こんがらがってきた><
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